ゲッティンゲン中心部北で発見された不発弾と、避難


 昨日2021年10月7日は、とても大変な一日でした。
 ゲッティンゲン中心部北のWeender Torで行われていた工事現場から第二次世界大戦の不発弾が見つかり、半径1km以内に住む住民たちは避難をしなければなりませんでした。我が家もギリギリその範囲に入っていたため、近くのギムナジウムに避難しました(上の写真は避難先)。その後、同日真夜中に爆弾処理が始まり、50分後には何事もなくすべてが完了し、10月8日現在、避難は解除されています。
 まさか自分がこんなことに巻き込まれることになろうとは思ってもいなかったので、本当に驚きの体験でした。以下、時間を追って、そのときに起こった出来事を書いてみようと思います。
 

 10月7日の夕方4時ごろ、その日家で仕事をしていた夫とのんびりとお茶を飲んでいたら、突然Polizei 警察官がやってきて、『中心部で不発弾が見つかったので、直ちに避難をしてください』と説明され唖然。『家に戻ってこれるのはおそらく明日になります。避難場所はあとで説明するので、5分で支度して外に出てきてください』と言われ、大慌てで荷物をバッグに詰め、夫ともども外に出ました。すると、表にはPolizeiが10人くらいいましたが、歩いている人はいませんでした。外は警察官が10人ほどいた以外は閑散としていたので、すでに避難をしている人が大半だったのでしょう。避難先は家から南西にあるギムナジウムだと教えられ、夫は自転車を押しながら、私は徒歩で避難先に向かいました。このときすでに最短距離では動けない状況だったので、かなり遠回りをして移動するしかありませんでした。

 避難所に到着し、夫が自転車を置いていたら、同じく自転車置き場にいた女性から声をかけられたのでちょっと話をしたら、彼女はそのギムナジウムの先生で、学校が避難先になり閉鎖されたのでこれから自宅に帰るところだと言っていました。自分たちは避難してきたと伝えると『どうか無事一晩をすごしてくださいね』と言ってくれました。
 案内された先は、ギムナジウムの体育館。すでにたくさんの人が避難をしていて、子どもたちは中で走り回っていました。ザッと中を確認してみると、電源が見つからず、夫は仕事の続きをしようと思っていましたが、ここではできないことが確定してしまいました。このとき、不発弾が見つかった場所を警察官から大雑把にしか聞いていませんでしたが、中心地で見つかったことは間違いがなかったので、夫はすぐに中心部からかなり北へ行ったところにある職場へ向かうことにし、私は夫の状況次第で避難先に残るかどうかを決めることにしました。3~40分後、ようやく職場に到着したという夫から電話がかかってきました。中心地をかなり迂回してからでないと北に抜けられなかったので、到着までに時間がかかってしまったのだそうです。夫と離れて一人避難所にいることに不安を覚えていたこともあり、夫と合流するために彼の職場へ向かうことにしました。このとき、夕方の5時半くらいだったと思います。夫の言っていた通り、中心部を相当迂回していかなければならず、徒歩で1時間以上かけて移動し、7時ごろには夫の職場で合流することができました。空には、緊迫した町の状況とは遠くかけ離れた、美しい夕焼けが広がっていました。中心部から避難してきた人たちなのか分かりませんが、バーベキューをやっている人もいたりして、中心部のものものしさとはかけ離れた、のんびりとした空気が流れていたのが印象的でした。

 夕食をすませ、持ってきたピクニックマットを夫の仕事部屋の床に敷いて、そこで横になって一晩を過ごしましたが、ほとんど眠れずに翌朝6時半ごろには起きていました。すぐに現状を確認してみたら、前述の通り、真夜中に不発弾が適切に処理され、被害もなく、終了していたことが分かりました。そして、避難指示も解除されていたことを知り、7時40分ごろに夫より一足先に職場を出て、徒歩で自宅に戻りました。夫の職場を出発したときは、日の出の時間は過ぎていたのでだいぶ明るかったのですが、早朝から出ていた霧で、家に帰るころには髪がしっとりと濡れてしまいました。下の写真は日の出前のもの。

 ゲッティンゲンは、第二次世界大戦で爆弾投下の被害を受けていないところだと認識していたので(実際に、中心部は古い町並みがきれいに残っている)、今回の不発弾発見には本当に驚きました。ニュースを読んでいて知ったのですが、2010年にも中心部から少し離れた広場で不発弾が見つかったことがあったようです(ただ、このときは処理中に爆弾が爆発してしまい、3人が亡くなったという事件になってしまったのだとか……)。このことから、あくまでも憶測ですが、おそらくゲッティンゲン中心部への爆弾投下がなかっただけで、周りでは投下があったのかもしれません。
 実はゲッティンゲン以外にも、以前住んでいたドイツの町で不発弾が見つかったことが一度だけありました。そのときは、見つかった場所からかなり離れたところに住んでいたため、避難をすることはありませんでしたし、そのことを知ったのは処理がすでに終わった後でしたが、それでも怖い思いをしました。しかし、今回はそのときの比にならないくらい恐ろしかったです。

 以上が、一歩間違えば大惨事になる真っ只中にいた私の避難体験でした。

 下記のページで、爆弾発見から無事処理が済み避難が解除された一部始終を時系列順にライブティッカーで読むことができます。見つかった不発弾の写真もあります。興味のある方はどうぞ。

 上記記事にも書かれていますが、爆弾は現在消防隊基地へ運ばれており、数日後には解体され、ミュンスターに運ばれて処分されることになっています。
 
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