難しく考えすぎないことが大事だよね


 これは、私が英語ができないばっかりに起こることなのですが、英語のパターンを編んでいると、ときどきなんて訳せばいいのかよくわからない表現が出てくることがあります(これでも、だいぶそういうことも減ってきたんですけどね)。ブログにも何度か書いていますが、単語が分からなければ辞書で単語を調べ、文章自体がよく分からなければ機械翻訳(以前はGoogle翻訳を使っていましたが、いまはもっぱらDeepL)にかけてみたりと、分からない部分をどうにこうにか理解できるようにいろいろとやっています。

 でもときどき、どんなに手を尽くしても理解できない場合があります。そうなったら、その時点で理解することを諦めて、しばらくそこから離れます。つまり、いったん編むのをやめるのです。なぜなら、数時間から2~3日して、改めて分からなかった部分を見ると、すんなり理解できることが多いと、経験則として知っているためです。きっと、文章が理解できないときは、理解しようと躍起になっていて、ここを理解しなきゃ続きを編めない!と頭の中で小さなパニックが起きているのだろうと思います。改めて見て理解できたときは、「どうしてさっき(以前)はこれをすんなりと理解できなかったんだろう」といつも思ってしまいます。

 ここ最近の例だと、くつ下のAvenaがそうですね。パターンには骨にたくさんの肉付いているような文章が多く、私にとっては、パッと見ただけでは要点を掴むのがとても難しいものでした(これこそが、英語ができないが故……恥ずかしい)。いまAvenaは片方が編み上がっていて、もう片方を編んでいる最中なのですが、片方が編み上がってから時間が空いてしまったこともあり、もう一度パターンを見ながら編んでいます。すると、一度編んでいることもあって、前回はよく理解できず『だいたいこんな感じかな』と編んでいたところを、今回はあっさりと理解できたのです。そのため、今回は前回とは違う編み方で進んでいます。ほんと、何で前回は理解できなかったのか、自分が不思議です。

 英語のパターンを読むときは、変な思い込みをなくして冷静に文章と向き合えばいいんですよね。今後は努めて冷静に読もう、と肝に銘じます。しかし、大体の理解で編んでも何とかなることも分かっているので、文章を理解することに、そんなに一生懸命にならなくてもいいかも、とも思っています。
 あれ……よく考えたら、そのどっちかができれば何とかなるじゃないか。

 難しく考えすぎて、どうしたものかとこの文章を書き始めましたが、書いていくうちにたいした問題でもなかったことを理解でき、自己解決。
 
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